撮り続けることが生きること。難病の血液がん「多発性骨髄腫」と「傾斜45度 高さ1ⅿからの世界」|TAKAさん(病室写真家)

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  • 2019年6月5日(水)24時〜オンエアの一部とインタビューに基づいた記事です(敬称略)
  • 6月12日(水)24時〜再放送
  • 6月19日(水)24時〜再放送
  • 6月26日(水)24時〜再放送

2019年6月のゲスト・マイノリティさんは、病室写真家 TAKAさんでした。

TAKAさんは難病の血液がん『多発性骨髄腫』を患い、完治は難しいと医師から宣告され闘病生活を続ける傍ら、フォトグラファーの経験を活かして、2016年夏から入院中に撮りためた写真で写真展を開催しています。

まい - 撮り続けることが生きること。難病の血液がん「多発性骨髄腫」と「傾斜45度 高さ1ⅿからの世界」|TAKAさん(病室写真家)
りん
5ヶ月間の入院生活で撮り溜めた写真は5000枚以上になるそうです!

写真家から病室写真家へ

RiN:実は私とタカさんは初対面ではないんですよ。その証拠が見つかったんですよね(笑)

TAKA:私がしっかりと(写真を)撮ってました(笑)

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りん
実は約10年前にTAKAさんに写真を撮っていただきました。
ダンサーの由佳ちゃんがプロデュースしたクラブイベント「仮面舞踏会」のフライヤーデザイン& VJを担当させていただいた時の写真です。一応「メイドさん」のコスプレのつもり・・・
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RiN:お互い元気な頃に、写真を撮ってもらってたことがあったんですよね~。

TAKA:びっくりです。

RiN:写真はずっと続けられていたということなんですが、キャリア的にはどんな感じでしょう?

TAKA:年数的には20数年ですけど、しっかり写真を始めたのは自分の子供が生まれてからですね。よくあるパターンで、お父さんがカメラやビデオを持つというとこから始めましたので。

RiN:主にどういったものを?

TAKA:最初はランダムにいろいろなものを撮ってましたけど、やはり撮ってる中で自分は何が好きかな?という結論で、やっぱり人物かなというところに辿り着いたんですね。鉄道を撮ったり飛行機を撮ったり動物を撮ったりもしましたけど、最終的には人を撮るのが好きになったのかな、という感じで。

RiN:タカさんはクラブのイベントとかファッションショーとかでね、結構同じ空間に私たち居合わせていて(笑)

TAKA:みたいですね(笑)

RiN:やっぱり(タカさんの撮った)写真を見ると、みんな笑顔で踊ったり酔っ払ったりしてて(笑)

TAKA:そう(笑)。 自然な雰囲気を盗み撮りするかたちでね。スナイパー撮りしてましたから。いつのまにこんな写真撮ったん?!って(笑)

RiN:目線がこっちを向いてないとかね。

TAKA:そうそう。それしか狙ってないから(笑)

多発性骨髄腫とは?

RiN:タカさんが現在患っている「多発性骨髄腫」という病気は、どういったものでしょうか?

TAKA:簡単に言いますと「血液のがん」でして、よく聞く白血病であるとか悪性リンパ腫、そして多発性骨髄腫が「血液の三大がん」と言われているんですけどね。その中でも私の多発性骨髄腫は10万人に1人から2人が発症すると言われています。そして現代医学では完治はないでしょう、という病なんですね。原因不明ですけど。私の場合、体中の骨をがん細胞が溶かし続けるんですね。

RiN:うーん・・・。

TAKA:で、最終的には内臓器官を破壊させ、ついには死に至らしめるという厄介な病らしいですね、聞くところによると。まさか自分がそんながんになるとは夢にも思ってませんでしたから(笑)

RiN:いや、本当に。それもそうですし、目の前にいらっしゃるタカさん、めちゃくちゃファンキー。

TAKA:色も黒いし(笑)

RiN:(笑)

TAKA:どこが病気やねんて(笑)

RiN:オシャレでもあるんですけど(笑)やっぱり見えないですよね。難病と言われる病気の特徴の一つでもあるといいますけどね。

TAKA:そうですね。見た目は健康そうと言われるんですけどね。

RiN:そうですよね。

TAKA:私の場合は骨がもう溶かされてますから。骨の写真を見てもらうとわかりますけど、穴だらけのボロボロですわ。

RiN:そうなんですよ。私も拝見して「え?!」って三度見くらいしたんですけど。

TAKA:(笑)

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りん
ご自身のレントゲン写真をTシャツにプリントするという・・・ロックだなぁと思いました。カッコいいですね。
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RiN:タカさんの場合、全身性で本当にごく稀ということなんですよね。

TAKA:はい。同じ多発性骨髄腫でも部分部分の、背中であったり腰、胸が溶かされる人が多いんですが、私の場合は頭の先からつま先まで全身の骨を溶かしているということで、医師から言われたのは「100万人に1人から2人やで。こんな珍しく溶かされてるのは」って。まあ選び抜かれたエリートがんマンですね、言うて(笑)

RiN:がんマン・・・。

TAKA:そうです(笑)西部劇のようなバキューンバキューンのカッコいいガンマンでなく、がん細胞を持つ男と書いてがんマンなんですけどね。

RiN:ここ、笑うとこです(笑)

多発性骨髄腫とは?
血液中には酸素を運搬する赤血球、出血を止める働きがある血小板、免疫をつかさどる白血球やリンパ球などの血液細胞があります。多発性骨髄腫(たはつせいこつずいしゅ)は、これら血液細胞の1つである「形質細胞(けいしつさいぼう)」のがんです。

形質細胞は、骨髄と呼ばれる「血液の工場」でつくられる血液細胞のうち、白血球の一種であるB細胞から分かれてできる細胞です。
形質細胞は、体内に侵入した細菌やウイルスなどの異物から体を守ってくれる「抗体」をつくる働きをもっています。この細胞ががん化して骨髄腫細胞になり、多発性骨髄腫を発症します。

骨髄腫細胞は骨髄の中で増加し、異物を攻撃する能力がなく、役に立たない抗体(これをMタンパクと呼びます)をつくり続けます。これらの骨髄腫細胞やMタンパクが、さまざまな症状を引き起こす病気です。

40歳未満での発症は非常にまれで、年齢が進むにつれて発症数が増加し、性別では男性にやや多い傾向があります。最近では、健診や人間ドックの血液検査で異常が発見され、精密検査で多発性骨髄腫と診断されることが増えています。

出典多発性骨髄腫 基礎知識(国立がん研究センター がん情報サービス)

多発性骨髄腫と診断されたきっかけ

RiN:その病気が見つかった時期やきっかけは?

TAKA:2015年の秋にまず背中に激痛を覚えまして、何だろうな?と地元の整体屋に行ったら、稀にあるぎっくり腰の背中バージョンということで流されたんですね。その時は痛み止めと湿布で様子を見ましょうと。で、年明け1月に今度は腰に激痛が走ったんですね。これはとても耐えられない状態で、その時はひとり者でしたから救急搬送で病院に運ばれまして、簡単な検査をしても全然わからない。そこでも様子を見るしかないということでね。

RiN:えええ・・・。

TAKA:その後、日々痛むところが変わってきたんですね。朝起きたら胸であったり背中、腰、首であったり。その中でも騙し騙しで痛みと生活を共にしてまして、2016年7月に3度目の緊急搬送でノックアウトでした。一歩も歩けなくなりましてね。焼いた熱々のナイフを何度も体中に刺されまくるような猛烈な痛みに気絶寸前でしたね。そして初めて「これはおかしいな」ということで精密検査を受けましてね。

RiN:あの、我慢強すぎます・・・本当に。

TAKA:のたうちまわりましたからね、二週間(笑)それで精密検査を受けたら先生の方から「今日来てよかったで」と。もう明日やったらどないなってたかわからへんでと。即刻入院と言われました。それからは怒涛の検査入院で三週間も検査で、やっと今回の病名がめでたく判明したんですね。

RiN:なかなか、その、わからないものなんですかね。

TAKA:それだけ患者数も少ないということもありましてね。

RiN:そうなんですね。なるほど。

TAKA:だから、まさか自分が「がん」なんて想定してませんでしたからね。

病室写真家TAKAの誕生

RiN:タカさんといえば写真ですが、入院中にも写真を撮っていたということなんですが。なぜ入院中に、だって動けないですよね?ベッドから。

TAKA:そうですね(笑)私に許されたベッドの角度は45度。それでもう寝てなさいと。首には今もしてるんですけど、コルセットで固定されまして、とにかくベッドの上で絶対安静。これがあなたに撮って一番必要なことですよ、ということから入院生活が始まりましたから。私にとっても人生55年にして初めての入院がいきなり絶対安静からのスタートでした。

RiN:初めての入院が・・・。

TAKA:最初は悩んで悩んで悩みましたけど、たどり着いた結論が「悩んでも仕方がない」と。もうなってしまったもんは仕方がないから。過去を悔やんでも未来を恐れても、なってしまったもんはしゃーないなと。だったら今を楽しく生きてみようかなと心のスイッチを切り替えることにしたんですね。そうして、せっかく入院できたんだから、入院生活ってどんなんやろうな?

RiN:・・・初めての入院!

TAKA:これから抗がん剤治療されるということで「抗がん剤治療ってどんなんやろうな?」と耳にすることはあっても、いざ自分にとって副作用ってどんな風になるんやろうなと、じゃあそれもひっくるめてせめて楽しもうと思ったんですね、そして楽しむ要素として、このベッドの生活をしながらでも、何か楽しみを見つけることが大切やなと思いまして。じゃあ何をしようと考えた時に、自分が好きなカメラを病室に持ち込んでみようと思いまして。病室にカメラを持ち込んだことがきっかけなんですね。そしてある日突然、朝焼けに心を奪われまして。

RiN:ベッドから(朝焼けが)見えたんですね。

TAKA:そうです。まあ病院の朝は早いですから、病人の朝も早いんですよね。

RiN:はい(笑)

TAKA:たまたま普段より早く目が覚めたその日に、窓の外に見える朝焼けに心を奪われまして、思わずカメラを構えましてね。その朝焼けを撮ったんですね。そうすると自然というのは、特に、朝焼けは短時間の間に色や形や大きさを刻々と変えていく、その自然の偉大さ美しさに感動しましてね。その間はもう自分でカメラを楽しんでたんですね、知らない間に。そうすると日々ある体の痛みを、カメラを楽しんでる間は忘れさせてくれるくらい楽しめる自分がそこにいたわけです。

RiN:もう、そっちに集中して。

TAKA:そうです。その時ふと感じたのは「ああ、人間って好きなことやってると体も喜んでくれるんだな」と。そういう風に感じまして、まあ心と体はつながってるんだろうなと感じまして、それから毎日のように入院生活をしながらでもベッドでカメラを楽しむことを日課にしまして。朝焼けを撮ってたのが夕焼けも撮ってみたい、夜景も撮ってみたいという欲にかられまして、それを日々楽しむようになったんです。

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RiN:周りの方とか主治医はどういう反応だったんですか?

TAKA:別段、カメラで写真を撮ることに関しては一切何も言われませんでした。

RiN:OKだったんですね。

TAKA:はい。ただ「看護師さんだけは撮らないでね」とだけは。

RiN:あはは(笑)

TAKA:釘を刺されましたけどね。まあ、たまに後ろ姿は撮ってましたけどね(笑)

RiN:後ろ姿(笑)

TAKA:たまにですけど、(撮っても)いいですよという人もいてはりましたけどね。

RiN:へええ。

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TAKA:私は安静中にも毎日、下半身だけのリハビリだけはさせてもらってたんですね。で、たまたまリハビリの先生が写真好きで、私が撮ってるカメラを見て「タカさんどんなの撮ってるの?」と聞くから見せてあげたんです。すると「これどこ撮ったん?」と言われまして、「どこ撮ったんと言われても窓から見える景色しかありませんやんか」と言ったところ、「へええ、とても病室から撮ったように思われへんね」という楽しい会話とリハビリの日々が続いたわけですよ。するとある日先生のほうから「タカさんの写真、アルバムの中だけに収めておくのはもったいないね」と。「もしよかったらうちの病院に展示させてほしい」と思いもかけない嬉しい提案があったわけですね。

RiN:おおお。

TAKA:そうしたら先生曰く、「同じ入院患者さんでも、何か楽しみを見つけ入院生活を楽しんでいる患者さんがいることを他の患者さんが知れば、その患者さんへの少しでも生きる勇気や励みに繋がるんじゃないですかね」ということをその先生に言われたんです。ああ、なるほどなと。ひょっとしたら私の写真が、そんな患者さんの生きる勇気や励みに繋がったら嬉しいな、という思いで退院するまで撮り続けたんです。実際、その病院内にも私の写真を展示していただけました。気づけば撮りためた写真がゆうに5000枚を超えてたんです。

RiN:凄い。見返すのも大変ですね。

TAKA:そうですね(笑)

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SNSから写真展、メディア取材へ

RiN:せっかく撮った写真を病院の外にも、ということで個展を?

TAKA:はい。そのきっかけも、私は日々撮ったものをfacebookにもアップしていたんですが、ある人がそれを見て、退院後にちょっとお話をいただきまして。「タカさんの写真を拝見しましたけど、もっといろんな人に見てもらいたいと、価値を自分なりに感じました。ですから、一歩前に進んだらどうですか」という提案をいただいたんですね。その提案が写真展というお話だったんです。私にとっては想像もしてなかったですし、感激のお話でしたから、こんな私でもまだ求められるものがあるんだなと感じまして、じゃあ一歩前に進んでみようということで、写真展に踏み切ることにしたんです。急なお話だったものですから、写真展まで準備期間が1ヶ月くらいしかなかったんです。

RiN:えええー!!早っ(笑)

TAKA:通常なら半年近くあると思うんですけど。

RiN:半年ほしいですよね(笑)

TAKA:それから日夜、5000枚を超える写真からのセレクトを・・・。

RiN:撮りすぎた〜(笑)

TAKA:本当にもう忙しくて(笑)友達にも来てもらったり現地で打ち合わせしていただいたり、何とか滑り込みで開催できることになったんですけど、開催に際して作っていただいたフライヤーを現地に展示していたところ、ある新聞記者さんの目に留まりまして。「病室写真家って一体何やねん?」と興味を持っていただきまして新聞取材に繋がり、そこからラジオ取材に繋がり、ネットニュースにも繋がりということで、実際フタを開けてみれば私を知らない方もかなりの400人近いご来場をいただきまして。その中でアンケートもとらせていただいて、半数近い人が生の声をアンケートで答えていただいて、今後も写真展をやってほしいとか、できたら講演もしてほしいとか、写真集も出版してほしいというお声もたくさんあったものですから、「ああ、これは私がこんな病になってでも、私に課せらせた人生の残りの使命なのかな」と、そこで思ったわけですね。

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RiN:全部繋がってるし、もともと写真をやってたのが生きてますね。

TAKA:だから、なるべくしてこういう病になったのかな、という流れに繋がってるわけですね。

RiN:不思議。

TAKA:奇跡的にこういう展開に繋がって、昨年だけで大阪、兵庫、奈良、京都、東京、10箇所以上、写真展や講演をさせていただいたりしたわけですね。

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傾斜45度 高さ1ⅿからの世界

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TAKA
タイトルの「傾斜45度」はベッドからの、「高さ1メートル」は車いすからの視線を意味しています。
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余命3年達成記念に写真集を出版

RiN:先ほどおっしゃってました写真集が、今年の夏に出版予定と。(※収録日時点)

TAKA:それも私が入院した時に余命3年と言われまして、実際あと残り3ヶ月(※収録日時点)と言われてるんですけどね。まあ私の中ではそんなんあくまで統計であって、自分の人生の通過点としか思ってませんから。それなら余命3年達成記念を称して、8月が私のバースデーですから、通称「余命3年達成&バースデー記念出版」として病室写真家TAKAの写真集を出版しようということで、今動いてもらっているところなんですけど。その中には、私が闘病を振り返る内容プラス入院中に撮った写真を色々盛り込みまして。皆さんにお伝えしたいことも含めて、1人でも多くの方に生きる歓び、勇気、励みになってもらえればいいかな、という思いのものが私の写真集なんですね。

RiN:(写真集は)どなたでも購入できるものですか?

TAKA:一応、大手出版からお話をいただいてますので、全国の本屋さんでも手に入れることは可能だと思います。私としては、その写真集を全国の病院へお届けできたらなと。やはり写真展や講演に関しても、年間させていただきましたけど、自分の中でも体力的にも限界がありますので。写真展に足を運んでいただけない方にも目に留めていただけたらと、写真集というかたちを考えましたので。私をサポートしていただける方たちのおかげで写真集が出来つつありますので、私も非常に楽しみにしているところなんです。

RiN:本当ですね。皆さんも是非楽しみにしていてください。

『病室写真家TAKA 傾斜45度 高さ1mの世界』発売!

そしてついに2019年8月、自身初の写真集『病室写真家TAKA 傾斜45度 高さ1mの世界』が発売されました!!

余命3年達成&バースディ記念写真集出版パーティー

2019年8月7日、TAKAさんの『余命3年達成&バースディ記念写真集出版パーティー』に出席させていただきました。

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TAKAさん58歳のお誕生日祝いです!

会場は神戸三宮の東遊園地内にあるフレンチレストラン『VILLA BLANCHE(ヴィラブランシュ)』。
とっても素敵なクラシカルな洋館です。

パーティーのお食事って大体物足りないものですが・・・こちらのお料理はとても美味しいです!
普段はレストラン営業をされているようなので、三宮へ行く機会があれば是非食べてみたいです。

アニバーサリープランやプロポーズプラン(!)などもありましたよ~。

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出典VILLA BLANCHE

元読売テレビ アナウンサーの清水健さんも、お祝いにいらっしゃいました。

関西の人にはとっても馴染み深い方ですが、読売テレビ『かんさい情報ネットten.』などを担当されていました。

ダイアンさんがリポーターの『シェフvs主婦料理バトル』と、ますだおかだ増田さんがリポーターの『街かど★トレジャー』のコーナーが好きでした!

ダイアンさんファンなのと、増田さんは私の先輩なので(笑)

実は数年前に、青年会議所主催の清水健さん講演会に招待いただいたことがあり、奥様をがんで亡くされた経緯から清水健基金を設立し、現在は「がん撲滅」や「難病対策」のため活動なさっていることをお聞きしました。

私も持病があり、ヘルプマークを使用しながら周知活動をしているけどなかなか難しいことなどを、清水さんとお話できて光栄でした。
さすが、ヘルプマークのことはご存知でしたよ。

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TAKAさんからのメッセージ

私は闘病生活を「闘病」じゃなくして。
病と戦うのはしんどくて疲れます。ですから私の中では病と仲良くの「仲病」と思うようにしているんですね。
がんに対しても戦うんじゃなく仲良くしようという風に日々心がけてます。
そして私はがんに対しても、がんじゃなく「いたずらっ子」と呼んでます。
そのいたずらっ子くんたちに対して「物は相談やけど仲良し協定を結ぼう」と。俺が死ねばお前たちも死ぬんやでと。だから末長く仲良くしようと、いつもお願いしてるんですね。
たまに悪さもしますが、それはそれで楽しめばいいんじゃないかなと。

私の場合は全てをまずは喜んで受け入れて、そしてそれを全て楽しみに変えようとしているのが、私の今、病と向き合ってる方法なんです。
確かに闘病生活というのは苦しい、しんどいです。これは当たり前やと思うんですね。
その当たり前の中でも自分に置かれたものを全て受け入れた上で、じゃあ楽しんでみようというのが私の病との向き合い方なんですね。
それを楽しむことによって病とも仲良く出来ているのが今の状態なんです。

今、世の中に年間100万人以上ですか、2人に1人ががんになる時代とも言われてますし。病と戦うのではなく病と仲良くしようというアドバイスをしたいと思います。

病室写真家TAKAのプロフィール

2016年7月突然に「多発性骨髄腫」という血液の癌に侵される。
身体中の骨を溶かされ普通に歩いても骨折するくらい骨がボロボロ。
人生初の入院がいきなり絶対安静のベッド上での入院生活を余儀なくされる。
病をすべて受け入れて、痛いも辛いもしんどいも、抗がん剤副作用もすべて楽しもうと心に決め入院生活をスタート。

多発性骨髄腫の写真家TAKAのブログ
https://ameblo.jp/yozora078/

あとがき

感動のストーリーと言われる映画などの作品には、主人公が重い病気で余命宣告を受けることがありますよね。

ほんのちょっと前まで、

本人には告知しないほうがいい。
ショックを受けて生きる気力をなくしてしまう。
という考え方が主流だったように思います。

私の身内も余命宣告をされてことがありましたが、

今のうちにやりたいことを全部やろう。全部させてあげよう。
という気持ちで過ごすのと、何も知らされずにいつの間にか死んでしまうのとではどちらがいいでしょうか?

「子育てがひと段落したら」とか「老後は趣味を持とう」と思いながら、忙しかったり面倒だったり家族に理解がなかったりなどで、結局何も出来なかった人も多いのではないでしょうか。

やっぱり心のどこかには、

また今度やればいい。いつでも出来る。
という気持ちがあるのではないでしょうか。

話は変わりますが、初診で病院に行くとまず問診票に記入しますよね?
問診票の最後に「病状を告知してほしいかどうか」の項目が追加されていることが増えてきているのをご存知でしょうか?

ここ最近は、「たとえ難病で余命が少ない場合でも、病気を詳しく説明するべき」という意見が増えているそうです。
と言っても、「知る権利」や「知らされない権利」もありますので、患者さんの希望に沿った説明をしましょうということで、問診票の一部にアンケート形式で告知についての項目が追加されている場合があります。

例えば、

質問
  • がんや難病と診断された場合、病名の告知を希望されますか?
  • 余命が短いと医師が判断した場合、その説明を希望されますか?
回答
  1. 全てを告知・説明してほしい
  2. 治る可能性が高い場合のみ告知してほしい。病状だけを説明してほしい
  3. 告知・説明をしてほしくない

もちろん回答は任意ですので、「突然こんな質問をされても困る。分からない」という人は書かなくても大丈夫です。
が、人は考えが変わる事があります。
後から変更することもできますので、とりあえず今の正直な気持ちを書いておいたほうが色々と考えるきっかけになるかと思います。

私がとても心配しているのが、家族が「本人に告知をしないでほしい」と望んでいる場合です。

問診票に、

ご家族が反対されても告知や説明を希望されますか?
という項目が追加されている場合がありますが、これは本当に本人のことを考えてくれているな~と思います。

余命数日の人が、家族に秘密にされたケースを聞いたことがあります。
「余命を知ったら本人がショックを受けるから」という思いやりによるものですが、残り数日だからこそ絶対にやり残したくないことがあるかもしれませんよね。

今は「終活」がブームのようですが、私も少しずつ終活の準備を始めています。
まだ準備の準備の準備といった段階ですが、、要らないものはどんどん捨てていこうと思い始め、何を捨てるかをまだ考えている状態です(笑)
いわゆる断捨離(の準備)ですね。

一般的に終活・断捨離で多いのは、「自分が死ぬ前に絶対に処分しておきたいモノ」のためみたいですね(笑)

とにかく、家族の病状告知・余命宣告については是非一度話し合ってみてくださいね。

私が尊敬する漫画家 手塚治虫先生は胃がんで亡くなりましたが、手塚先生ご本人にはがんの告知はされませんでした。
亡くなった1989年当時は、まだそういう時代だったんですよね。
手塚先生は現在の大阪大学医学部を卒業し、医師免許を持っている方です。

ある日、「僕の病状は何なのか、聞いてきてほしい」と知人に頼んだそうですが、最期まで本人には胃潰瘍だと伝えられていました。

手塚先生が入院中に描いていた遺作の一つ「ネオ・ファウスト」には、胃潰瘍だと告げられるも自分は胃癌だと知りつつ亡くなるという、手塚先生の状況にそっくりな人物が描かれているので、もしかすると気づいていたのかもしれません。

残念ながら未完となってしまいましたが、手塚先生は死の間際までこの作品の完成にこだわり、痛み止めのモルヒネを打ちながら手が動かなくなるまで描き続けたとのことです。

「ネオ・ファウスト」の主人公に、「まだまだやり残したことはあるんだ」というセリフがあります。
お医者さんや奥様に止められながらも、病院のベッドで漫画の連載を続けました。
手塚先生の最後の言葉は、「頼むから仕事をさせてくれ」だったそうです。

出典手塚治虫(Wikipedia)

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