放送作家とは「書く」よりも「考える」仕事|鹿島我さん(放送作家/京都光華女子大学短期大学部 教授)

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この記事は2019年2月に作成されたものです。

状況が変わったり、リンク先が変わっている場合があります。
  • 11月7日(水)24:00〜オンエアの一部と取材に基づいた記事です(敬称略)
  • 11月14日(水)24:00〜再放送
  • 11月21日(水)24:00〜再放送
  • 11月28日(水)24:00〜再放送

2018年11月のゲスト・マイノリティさんは、
放送作家・京都光華女子大学短期大学部 教授の鹿島我さんでした。
もともと放送作家としてテレビ・ラジオ業界でお仕事をされていて、現在は女子短大で教授として教壇にも立たれています。

まい - 放送作家とは「書く」よりも「考える」仕事|鹿島我さん(放送作家/京都光華女子大学短期大学部 教授)
りん
実は以前、京都光華女子短大の『女性と放送業界』という女性目線からの放送業界の研究をテーマとした鹿島さんの授業で、講師を務めさせていただきました。

放送作家とは?

りん:放送作家の他にも構成作家や脚本家、漫才作家などいろいろありますが、放送作家とは一体どういうお仕事なんでしょうか。

鹿島:東京と大阪では全然違う仕事です。同じラジオでも東京ではしっかりと台本があって台本通りに読んでいくんですけど、関西では「ここは挨拶、後はお任せ」という感じです。だから放送作家とは言っても「書く」と言うよりは、いわゆるブレーン的なアイデアマンですね。「この企画はこういう風にしたら面白い」というのを考えていく。いかに面白いことを考えられるか、言えるか、というのが関西でいう放送作家です。

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りん
笑いがベースになっているんですね。
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鹿島
ベースですね。芸能人、タレント、芸人よりも自分が面白いと思っていないと、関西では放送作家はできないです。

りん:放送業界に興味を持ったのはいつ頃ですか?

鹿島:中学2年生の時、僕は今52歳なのですが、14歳の時にラジオ大阪というラジオ局で『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』というラジオ番組があったんです。(りんさんは)お若いからご存じないですかね。「ぬかる民」という言葉が生まれるくらいブームになったラジオなんですよ。それに中学2年生の時にハマりまして、鶴瓶教の信者です。

日曜深夜という時間帯故に、当初はスポンサーが付かず、鶴瓶・新野のうだ話がコマーシャルなしで延々と放送された。スポンサーがないことを逆手にとり、二人はいわゆる世間話をエンターテインメントの域にまで高める。リスナーはぬかる民(ぬかるみん)と呼ばれた。ぬかる民の中には、現・ニッポン放送アナウンサーの上柳昌彦も居り、上柳はニッポン放送入社後に本番組に電話出演したこともあった。番組表では26時30分終了とあったが、その日の気分で番組が延長することも時々あり、『全国縦断ぬかるみ電話』を行った時には3時、4時にまで番組が延長することもあった。封書は週に500通ほど届き、これを読むのに3日かかるほどだったという。
鶴瓶・新野のぬかるみの世界(Wikipedia)

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りん
鶴瓶さんのファンなんですね(笑)
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鹿島
もう鶴瓶さんの大ファンで、大好きで、鶴瓶さんみたいな人になりたいとずっと中学生の時から思っていました。

りん:そのラジオを聴いて、鶴瓶さんファンになったんですか?

鹿島:そうですね。ヤングタウンというラジオ番組でも当時、鶴瓶さんがやってはったんですけど、月曜は鶴瓶さんのラジオを聴く。ため息コーナーと言うコーナーがあったんですけど、思わずため息が出てしまいそうなネタをやるコーナーで。日曜はこの「ぬかるみの世界」を真剣に語りはるんですよ。例えば今で言うと、それこそ難民の方がいろんなひどい目に遭っていると。それをどう思いますか?というリスナーからのハガキに対して、鶴瓶さんが真剣に答えるみたいな。うわーこんな風に語れる人になりたいなぁと思っていたのが、僕の中学時代です。

りん:もう止まらないですね(笑)

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鹿島
中学3年生の時に鶴瓶さんのサイン会に行きました。お金がないので知らない人から鶴瓶さんの本のカバーを貰い、それにサインをしてもらい、サイン本にしました。

放送作家になったきっかけは?

りん:鹿島さんは大阪府立北野高校出身とのことで、凄いですね。

鹿島:今の北野高校は大阪中から入ってくるからですよ。僕らの時は第一学区で限られた地域だったから、そうでもない。

りん:学区内では成績優秀ということですね?

鹿島:そうですね。当時は学校で、ある程度の順位にいれば合格できたようです。今はもう学校で1位とか2位じゃないと入れない学校になってしまいましたから。

りん:私の大好きな手塚治虫先生も北野高校出身ですよね。

鹿島:先輩です。森繁久弥さんも。

りん:高校在学中にテレビ番組にレギュラー出演をされていたそうですが、どんな番組でしたか?

鹿島:『9年9組つるべ学級』といいまして、鶴瓶さんが先生役で、僕らみたいな一般の素人が生徒役でいろんな授業をしていく。それこそ性教育みたいな授業があったり、似顔絵を描く授業があったり、成瀬國晴さんというイラストレーターの方が来てやってくれはるとか、上岡龍太郎さんがゲストで来て話し方を学ぶとか、そういう授業が月一回の番組だったんですけど、生徒役で1年間出演したということがこの放送業界に入っていくきっかけでした。

りん:出演するきっかけは何だったんでしょうか。

鹿島:日曜日に月一回しか放送しない番組なんですけど、家でたまたま試験勉強だったのかな、テレビをつけたら生徒募集というのが出ていたんです。あ~応募してみようかなと思ってハガキに書いて出しました。するとオーディションに来てくださいと。僕はラグビー部だったので、その日はラグビーの試合があったんですよ。1年生だったので「すみません、今日ちょっと体調が悪いので行けません」と先輩に連絡をしてオーディションに行って、通ってしまった。

りん:倍率は凄かったんじゃないですか?

鹿島:当時、僕らが聞いたのは1万人の応募がありました。生徒役は25人ですから400倍ですね。

りん:すごい。

鹿島:そこで運を使い果たしてしまったんですね(笑)

りん:久本雅美さんの妹さんの、久本朋子さんもその番組に出演されていたんですよね。

鹿島:僕の隣の席でした。可愛かったですよ、当時は。今も当然お綺麗な方なんですけど。

りん:その後、放送作家になるわけなんですけど、どういう経緯で放送作家になったんでしょうか。

鹿島:その番組の構成をしていたのが、後の私の師匠となる新野新なんですが、もともと僕はテレビ番組に出演したい人だったんですが、自分の外見を知って、やめようと。裏方に回ろうと(笑)。ディレクターやプロデューサーなら人事移動があるからテレビ番組をずっと作っていられるかわからないとなった時に、放送作家という仕事ならフリーなので一生番組を作っていられる。こっちのほうがいいなと。ということで放送作家を目指すにあたって、僕の目の前にいたのが新野新先生だけだったので。

りん:じゃあ、もうこの人しかいないと。

鹿島:はい。で、大学1年生の冬休み、2月23日が新野師匠の誕生日なんですけども、その日、家にある1番高いレミーマルタンというお酒があって、たまたま箱も残っていたので箱に入れて持っていって、弟子にしてくださいと。バイトして稼いできましたと。買ってきましたと。嘘ですよ、家にあったんですけど。そうやって何とか弟子になれました。

りん:そんな感じで「弟子にしてください」と言ったら、なれるものなんですか?

鹿島:いや、ほとんど断られます。たまたま僕の前の兄弟子にあたる人がつるべ学級の同じ3期生だったんです。その人の紹介もあって。だからスタートはすごくラッキーでした。

りん:やっぱり何か繋がりがないと難しい世界ですか。

鹿島:そうですね。運といいますか、出会いですね。

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鹿島
半年の試用期間を経て、無事に新野師匠に弟子入りしました。

放送作家の仕事内容は?

りん:放送作家としてデビューされたのは大学在学中だそうですが。

鹿島:放送作家としてのデビューは大学1年生。もう2年生になっていたかな。大木こだま・ひびきさんの漫才台本を書かせていただいたのが放送作家としてのデビューとなります。

りん:本当に完全な裏方ですね。その後はテレビへ?

鹿島:そうですね。テレビ番組は4月・10月に改編があるので、大学2年生になった4月に毎日放送でやっていた『クイズ!!ひらめきパスワード』という全国ネットの番組があったんですが、そのクイズの問題を作るいわゆるブレーンです。大学卒業後はバラエティを中心に活動していましたが、『熱闘甲子園』の構成を機に次第にスポーツ、グルメといった得意分野を生かした番組へと方向転換しました。『虎バン』『ぶったま!』など阪神応援番組を担当しました。

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りん
担当してみたい番組は?
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鹿島
テレビ朝日『アメトーーク!』ですね。
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りん
一番影響を受けた番組は?
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鹿島
テレビはABC(朝日放送)『ヤングプラザ』の雑談コーナーです。明石家さんまさんと島田紳助さんの。
ラジオは『MBSヤングタウン』桂三枝さん (6代目桂文枝)がパーソナリティで、好きな人がいるが告白できない人の友達役として月亭八方さんが代わりに告白するというコーナーがありました。
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りん
鹿島さんは後にMBSラジオ『ヤングタウン』土曜・ぜんじろうさん(当時)の構成も担当されました。現在は土曜・明石家さんまさん(当時は月曜)、日曜・笑福亭鶴瓶さんです。子どもの頃から好きだった番組を担当することになるなんて、夢がありますね。
MBSラジオ『ヤングタウン』は大阪ローカル局ですが、昔から東京にもスタジオがあるそうです。明石家さんまさんが東京でも収録できるようにするためという伝説。

放送作家になるには?

りん:関西学院大学の社会学部マスコミュニケーション学専攻出身ということですが、もともと文章を書くのが得意だったとか、国語が得意だったとか?

鹿島:中学3年生の、鶴瓶さんに出会った時に、感想文の学内コンテストがあったんですが、『遁走』という本を書いた感想文が学校代表になって大阪市の何か賞をもらったんですよ。そこからの勘違いですね(笑)。俺は文章がうまいんだと(笑)

りん:でもそういうことが何かつながっていますね。だって裏方って他にもあるじゃないですか。でも書く方を選んだということなんですね。

鹿島:なんか作家ってカッコイイじゃないですか(笑)

りん:放送作家になるべくして学校を選んだ?

鹿島:そうですね。本当は早稲田大学に行ってラグビーをしたかったんですよ。

りん:でも放送作家を選んだと。

鹿島:(入試に)落ちちゃったので(笑)

りん:では早稲田大学に受かっていたら、もうラグビー1本で?

鹿島:そうです。新野新さんの元にも行ってないですし。

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りん
放送作家になるにあたって、出身校や学歴は影響ありますか?
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鹿島
一切影響ないです。関係ないです。僕の知っている方では、高校までしか出てないけど作家をやってている女性もいますし。

りん:ここなら有利かなという学部などはありますか?

鹿島:私が知っている限りは一切関係ないです。

りん:工業系、理系出身などは間逆だと思いますが関係ないですか?

鹿島:全く関係ないです。むしろ感性とか、そっちですね。

りん:ちょっと有利になる資格などはありますか?

鹿島:普通免許ぐらいあれば取材に行けますね。私いつも言うんですけど、放送作家って一番なりやすい職業ですよと。資格は要らないし免許もないですし。基本フリーですから会社の入社試験を受ける必要もない。自分で放送作家という名刺を作って渡せば放送作家ですから。

りん:仕事があるかどうかは本人の実力次第ということですかね。イラストレーターやデザイナーも名乗った日からなれますし、資格などはないのでそれと近いところがあるというか、同じですね。

鹿島:フリーランスですからね。

りん:フリーランスの大変なこともあるんですけどね(笑)

鹿島:大変ですよね。

りん:会社員の放送作家もいるのでしょうか?

鹿島:社員と言うのは厳密に言うといないと思います。所属、いわゆるギャランティーの何%を事務所に入れる。タレントさんと同じですね。だから仕事がなくなれば収入はゼロになる。そういう仕事です。

りん:基本は社員ではなくフリーランスなんですね。作家さんの業界はテレビやCM、漫才、コントなどありますが、業界や業種による違いなどはありますか?

鹿島:特にはないですね。

りん:「僕は漫才作家になりたいから漫才しか見ないんだ」とか、そこまでこだわる必要はない?

鹿島:僕は若手の作家志望の子に言うんですが、こんな感じで「漫才好きやから漫才ばっかり見てたらいいネタは書けないよ」と。むしろ漫才やってる人が、りんさんのようにレースをやってみるとか。そっちのほうが絶対に面白いネタが書けると思うんですよ。

りん:業界は絞らなくてもいいと。

鹿島:むしろ広く浅くです。時々深い知識をいくつ持っているか。

りん:放送作家になるために、具体的にどういう道をたどって何をすれば放送作家になれるんでしょうか?

鹿島:ひねくれた人になって下さい。例えばよく言うんですが、多分、上岡龍太郎さんがもともと言うてはったと思うんですけど、「世の中に親子丼はない」と言いはるんですよ。親子丼が好きだと言う人は嘘つきだと。親子丼というのは親子でしょう、ということは卵を生んだ親の肉を使ったやつが親子丼で、普段食べているのは他人丼です。わかりますか? こういうひねくれ方をするのが放送作家です。普通の人と同じことを考えていたらテレビなんて面白くないんですよ。それは友達と会話をしていたら良いことですし。違う目線から世の中を斬れるか。そういうひねくれた考え方です。

りん:学歴は関係ないということなので、あとは何かに応募したり放送作家のオーディションもたまにありますよね。オールナイトニッポンが50周年記念で放送作家を募集していて、私も応募しようかと思ったくらいで。年齢制限がなければ応募していました(笑)

鹿島:それでいうとラジオのハガキ職人は放送作家への道です。秋元康さんもそうですからね。

ハガキ職人とは、ラジオ番組や雑誌などにネタを投稿するリスナー/読者の中でも、特に優秀で番組パーソナリティやほかのリスナー/読者からもその存在が知られている人を指す。秋元氏も放送作家となる以前はハガキ職人だったことが知られている。ハガキ職人から放送作家となり、その後の作詞家、プロデューサーなど多岐にわたる活躍は周知の通り。その秋元氏をして「君は天才だよ」と言わしめる人物がいるという。
秋元康氏、天才ハガキ職人に脅威「恐ろしい」と絶賛(日刊スポーツ)

りん:鹿島さんもハガキ職人でしたか?

鹿島:僕もハガキ職人でした。いろいろヤンタン(ヤングタウン)にはせっせせっせと応募して家にバッグがあったりとか。ステッカーをもらったりとか。

りん:就職というわけでもないので、あとは地道に自分で書いてみて誰かに見てもらって、みたいな。

鹿島:見てもらうのが難しいんですよね。

りん:今はすぐに追い帰されそうですよね。

鹿島:そうなんですよ。昔は放送局は誰でも入れたんですよ。今はもう入館証がないと入れない。機械に入館証を通さないと入れないですから。昔は結構スタジオに知らない人がいましたから(笑)。誰でもいましたから(笑)。全然関係ない人が打ち上げに行ったりしてましたから(笑)

りん:誰でもなれるけど、なるのは難しいという仕事ですね。

鹿島:生計を立てていくのが大変ですね。

ハンディキャップがあっても放送作家になれる?

りん:よく質問させていただく内容なんですが、放送作家さんで持病だったり身体に障害やハンディキャップをお持ちの方はいらっしゃいますか?

鹿島:すぐに思いつくのは北川悦吏子さんと言う著名な脚本家の方ですが、僕が大好きな『ビューティフルライフ』という木村拓哉さんと常盤貴子さんが出演されたドラマがあったんですけど、常盤貴子さんが車椅子の生活を余儀なくされているという設定だったんですけど、あれは僕が知ってる限りでは北川さんがたまたま腰を悪くされて車椅子の生活を何週間か何ヶ月かちょっと定かでは無いですが、そういう生活をされた時に、世の中というのはなんとハンデを持った人に冷たい社会なんだというのに気づかされたのがあの作品を書くきっかけだとは聞きました。

りん:北川さんは後に公表されたんですけど、NHKの『半分、青い。』という朝のドラマで、以前、突発性難聴になられたときにそのタイトルが降りてきたそうです。それと北川さんも難病をお持ちで、潰瘍性大腸炎というんですが、そういうものを抱えながらも傑作を何本も書いてきたんですね。有名な方だからではなく誰でもハンデがあっても、やろうと思ったらできるのかなと。

鹿島:ハンデがあってもできます。ただし体力がいりますね。

脚本家の北川悦吏子さんが、難病を患っていたことを初めて告白。病との過酷な闘いのなか、自身が書いたドラマのセリフに励まされることもあったと言う。
北川悦吏子が難病を告白「10万人に1人の病に」(AERA dot.)

潰瘍性大腸炎は、主に大腸粘膜に潰瘍やびらんができる原因不明の非特異性炎症性疾患。クローン病とともに炎症性腸疾患に分類され、厚生労働省より指定される難病(旧 特定疾患)である。
潰瘍性大腸炎(Wikipedia)

まい - 放送作家とは「書く」よりも「考える」仕事|鹿島我さん(放送作家/京都光華女子大学短期大学部 教授)
りん
最後に皆さんにメッセージをお願いします。
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鹿島
すべての出会いに偶然はないです。すべては必然です。出会いを大切にしてください。

鹿島我さんのプロフィール

コラム「キラメキ!テレビ塾」

産経新聞 夕刊(第一金曜日)に掲載のコラム『キラメキ!テレビ塾』を執筆。
夕刊は一部50円
産経電子版ではバックナンバーもご覧いただけます。
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りん
コラムの挿絵は私が担当させていただいております。タレントさんや芸人さんのイラストを描いていますので、よければ是非チェックしてみてくださいね。
テレビの構成
たかじんnoばぁ~/晴れ時々たかじん/新・たかじんが来るぞ/キスした?SMAP/アタック25/ナイトinナイト(やしきたかじん、渡辺徹、月亭八方)/熱闘甲子園/痛快!エブリデイ/クイズひらめきパスワード/大迷宮/合コン合宿解放区/阪神タイガース優勝特番(2003年・2005年)/近鉄バファローズ優勝特番(2001年)/虎バン/ぶったま/西川きよしの大阪探検/池上彰と考える巨大自然災害から地球を守れ/天王寺おばあちゃんゾウ 春子の夏日記/天王寺おばあちゃんゾウ 春子最後の夏/他
ラジオの構成
ヤングタウン/チャヤマチックWAO/茶町学園乙女組/他
映画の構成
『天王寺おばあちゃんゾウ春子最後の夏』
  • 第52回ギャラクシー賞奨励賞
  • 第56回科学技術映像祭しぜん・くらし部門優秀賞
  • 第12回世界自然・野生生物映像祭 日本野生生物賞
  • 第59回関西写真記者協会報道展テレビ・ニュース映画の部 企画部門金賞
審査員
M-1グランプリ/R-1ぐらんぷり/他
担当学科・教科等
  • 京都光華女子大学短期大学部 教授
  • エンターテイメント論Ⅰ(ジャニーズ事務所の研究)
  • エンターテイメント論Ⅱ(スタジオジブリの研究)
  • 笑いのコミュニケーション演習(学生によるオリジナル漫才の披露)
  • 女性と放送業界(女性目線からの放送業界の研究)
  • プレゼンテーション演習(企業・自治体からのテーマ提供によるプレゼン大会)
  • 学生が創る「地域」(限界集落に学生が民泊して地域が抱える問題を考える)
  • 学生が創る「学び」(学生が講師となり、他の学生に「社会人に必要なマナー」を教える)
  • アクティブリーディング(漫画・ドラマからリーディングスキルの習得)
  • アクティブライティング(社会人に必要なライティングスキルの習得)
  • 2014社会人基礎力育成グランプリ全国大会 準大賞(全国2位)
  • 社会人基礎力を育成する授業30選「プレゼンテーション演習」採択(2014年)
主な経歴・略歴
大阪府立北野高校(ラグビー部)
関西学院大学社会学部マスコミュニケーション専攻(ラグビー同好会)
1987年 放送作家集団「ペン企画」所属
2006年 放送作家集団「ヌーベル工房ウェルダン」設立(代表・代表取締役)
2007年 NPO「男性生殖医療研究会ステイマン」事務局長
2010年 京都光華女子大学短期大学部准教授
2017年 同、教授

あとがき

この番組を聴いてくださってるということは、かなりのラジオ好きだと思うのですが・・・
「ラジオ好きあるある」の一つが、「部活は放送部」ですよね。

私は他局でもDJや番組づくりの他、今までの仕事でラジオ関連に携わることがあったのですが、そこで知り合った人はやはりというか、ほぼ皆さん放送部出身でした。
中には小学校から大学までずっと放送部だった人もいたり、そのお子さんもまた放送部だったり。

かくいう私も中学時代は放送部の部長で、高校では残念ながら私のクラスは部活禁止だった経緯でクラブ活動はしていませんでしたが。

今の主流は動画ですが、昭和世代はやっぱりラジオなんですよ(笑)

私は子供の頃から自分の声に非常にコンプレックスを抱いているので、ラジオで喋るのが好きというよりはラジオ番組を作る裏方のほうに興味がありました。
放送部時代は音響機器を触るのが大好きで、大学生になりバンド活動を始めた時にはレコーディングエンジニアやミキサーといった仕事にも興味を持ちました。

何と言っても裏で操っている感じがカッコイイですし(笑)

そんな自分が現在、ラジオで喋っているのが何とも不思議な状況なんですけども。
中学の放送部では、当時なぜか小説や脚本を書くことが流行りまして、みんな喋るよりも作家志望のようでした。
こぞって小説を書いては回し読みをしていたんですよ。

私は文章を書くこととストーリーを考えることが好きだったとの、小説といえば表紙の装丁や挿絵を描くことが楽しみで、私も小説を書いていました。

確か中学2年生の時に臨海学校という学校行事があって、夏に学年全員で海の近くに泊りに行くんですね。
そこで各クラスで出し物をすることになっていて、学級会で何をやるかを決めたところ、演劇に決まったんですよ。

何の劇をやるねん? となり、まずは台本が必要だと。
脚本担当を決めようということでクラス投票の結果、私が選ばれたんですよ。

もう全部丸投げされて、キャスティングも私が独断で決めていいということで。
放課後に残って練習して、そして臨海学校のメインイベントが2キロの遠泳で、A班・B班・C班にわかれて2キロも泳ぐんです。

A班は水泳が得意な人が集められて後ろがつかえないようにさっさとゴールさせるという、いわゆる精鋭部隊なんですが、私はA班でした。

私、中学に入るまで泳げなかったんですけど…。

スイミングスクールに通ってやっと泳げるようになったんですが、ついこの間まで泳げなくて体力もないのにA班なんて無理だわ。変えてくださいといってもダメ。(水泳のテスト結果で勝手に決められているので)
案の定どんどん多い抜かれてしまいA班の最後尾へ。ついにB班の先頭が追い付いてきてしまいました。

もうフラッフラになりながらも夜は砂浜でキャンプファイヤーを照明代わりにクラスの出し物が始まり、いよいよ我がのクラスの劇が始まりました。
稽古の時は「セリフが多い!」なんて文句を言われながらも、みんな一生懸命に私の脚本を演じてくれて、他のクラスから笑いが起きると誇らしい気分になるんですよ。

脚本担当は裏方なので舞台の袖からそっと見守りつつ、「あ!あそこセリフ間違えたわ」「あ、セリフ飛ばした」なんてブツブツ言っていました。
ただの砂浜なので舞台袖といっても観客から丸見えなんですけどね。

大学ノートに書いた当時の台本は、いまだに捨てられずに残っています。

14歳の時の経験が今の自分の一部になっているくらいなので、ラジオに興味がある学生さんは是非とも放送部に入っていただいて、ラジオ好きだけど喋るのは苦手という人は是非とも裏方さんを目指してみると面白いと思いますよ。

私のように自分の声にコンプレックスを持っていても、喋るほうと書くほうと両方やっている人もいますからね。










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