この記事は2018年11月に作成されたものです。
状況が変わったり、リンク先が変わっている場合があります。- 9月5日(水)24:00〜オンエアの内容と取材に基づいた記事です。
- 9月12日(水)24:00〜再放送
- 9月19日(水)24:00〜再放送
- 9月26日(水)24:00〜再放送
2018年9月のゲスト・マイノリティさんは、
東京、京都、大阪、神戸で活躍中のシャンソン歌手 葉月ルミさんです。

目次
シャンソンとは?
シャンソンの定義は「フランス語で歌われる曲」だそうです。
本来、シャンソン (chanson) は、フランス語で歌の意味である。したがって、少なくとも現代のフランス語圏においては、シャンソンは歌全般を意味し、特定ジャンルの楽曲を指すものではない。他言語圏ではフランス語で歌われる曲という意味で使われることが多く、この場合も何らかの音楽的特徴を持つものではなく、(中略)なおイタリア音楽のカンツォーネ (Canzone) とは元々の語源は同じである。
シャンソン(Wikipedia)
日本語では「シャンソン」=「歌のジャンル」なんですね。
これは韓国の鍋料理「チゲ」を「チゲ鍋」と呼ぶ現象と同じようなものでしょうか。
韓国語で「チゲ」=「鍋」という意味らしいです。
カンツォーネも同じ現象が発生しています。
カンツォーネ (Canzone) は、イタリア語では単に歌を指す単語である。 しかし、日本国内においては主に19世紀末から20世紀初頭に書かれたイタリアの大衆歌曲、特にナポリのもの(カンツォーネ・ナポレターナ、Canzone napoletana)を指すことが多い。
カンツォーネ(Wikipedia)
カンツォーネといえば、日本人にとってはシャンソンよりも身近なのでは?
小学校~中学校の音楽の授業で、カンツォーネを歌った記憶があります。
- フニクリ・フニクラ
- オー・ソレ・ミオ
- サンタ・ルチア
あたりは馴染みがありますね。有名どころ。
日本で、日本語で歌われるシャンソンには「日本独特のシステム」が存在するそうで、基本的には有名な訳詞家さんに歌う許可をもらうとのこと。
フランス語から日本語に翻訳するだけでも大変そうですが、さらに歌詞に当てはめるんですね。
作詞家の岩谷時子さんがシャンソンの訳詞をされていたことでも有名ですが、私が岩谷さんを知ったのは、岩谷時子さんが訳詞を手掛けた有名なシャンソン、エディット・ピアフの『愛の賛歌』をドキュメンタリー番組で聴いたことがきっかけでした。
歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。 マネージャーとして活動する一方で、1952年に越路が出演していたシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として『愛の讃歌』で時子にとって自身初めてとなる訳詞・作詞をした。以降、『愛の讃歌』をはじめとする越路が歌うシャンソンの訳詞を手がけたのをきっかけとして作詞家・訳詞家としても歩み始める。(中略)一方、オリジナルの詞にとらわれず独自の解釈で詞を当てることもある。例としては、エディット・ピアフが歌った『愛の讃歌』は元の歌詞が「愛のためなら盗みでもなんでもする」という背徳的な内容であるのに対し、時子訳詞では一途な愛を貫くという讃歌になっている。美輪明宏が時子にそのことを訊ねたエピソードがNHK人間講座「美輪明宏愛と美の法則(2005年3月21日)」で放映された。
岩谷時子(Wikipedia)


幼少期より実家が料亭を営んでいた関係で、端唄・長唄・三味線・日舞などを習い純和風の音楽に触れていたが、13歳の時に、急性喉頭腫瘍を発症、取り除く手術の前夜に病室で出会ったエディット・ピアフの「愛の賛歌」に心を救われ、シャンソンを歌うことを心に強く決める。(中略)阿久悠に見出され、書き下ろしのオリジナル曲を含めたアルバムにて2002年、コロムビアミュージックエンタテインメントよりデビュー
佐々木秀実(Wikipedia)
日本では、シャンソンはほぼ日本語で歌うようです。
確かにテレビや舞台、コンサートでも日本語で歌っている印象が強いですね。
日本人のシャンソン歌手にとって、フランス語は必須というわけではないそうです。


「シャンソン」と聞くと何やら格式高いイメージがしますが、実は歌う人も自由。歌い方も自由というもの。
それでは聴くほうも自由なのでしょうか?
シャンソニエとは?
シャンソンの生演奏を楽しめるカフェやバー、ライブハウスをシャンソニエと呼びます。
元々、フランス語で「シャンソニエ」とは「シンガーソングライター」を意味する単語だそうです。
シャンソニエは敷居が高い?服装は自由?
シャンソニエは誰でも気軽に楽しめるのでしょうか?
「着ていく服がないから・・・」と心配される人が多いそうですが、実は服装は自由。
ドレスコードはありませんので、普段着や会社帰りの服装でOKなんです。
Tシャツにジーンズで来店される人もいらっしゃるそうですよ。
料金も意外とリーズナブルなので、お仕事帰りに食事を済ませてからシャンソニエへ・・・という使い方も多いのです。
イベント内容やお店によっては食事付きの場合もあるようです。
- 料金は一般的なディナーショーよりは安いくらい。
昼の部は1ドリンク付きで3000円くらい。
夜の部はチャージが5000円で何時間でも居られる。
などなど。


確かに!シャンソンは1曲が約3分と短いのに、内容がものすごく濃いと感じました。
シャンソンを知らない人に是非聴いてほしいオススメの曲は?

『愛の讃歌』エディット・ピアフ

『シェリーに口づけ』ミッシェル・ボルナレフ

『いつものように』クロード・フランソワ

『She』シャルル・アズナヴール


ロンドン西部のノッティング・ヒルを舞台に、冴えない書店主とハリウッド女優の恋愛を描く。人気俳優陣の出演もあり、今なおとても人気の高いラブ・ストーリー。
ノッティングヒルの恋人(Wikipedia)
Elvis Costello ‘She’
好きなシャンソン楽曲ベスト3は?
第3位『She』シャルル・アズナヴール
『シャンソンを知らない人に是非聴いてほしいオススメの曲は?』に続き、2度目の登場です。
第2位『エイズに死す』バルバラ
これほど直球なタイトルは日本では珍しいのではないでしょうか。
訳詞された方がこの歌に深い理解と敬意を表しているように推測します。
原題は『Sid’Amour À Mort』「愛の死」という意味(なのかな?)で、曲中に何度も出てくる「SIDA」という言葉は英語で「AIDS」のことだそうです。
現在では、治療薬も進化し、患者さんの「平均余命」も、一般の方と、「そう変わらなくなってきた」、との発表が先日ありました。
バルバラはこのシャンソンを常にライヴで歌っていた。重いテーマを扱った「sid’amour a mort “愛の死”」が書かれた1987年当時は、この病気について全くと言って良いほど解明されていなかった。人類にとって未知の病であり
治療法もない状態の文字通り死の病。そんな時代背景のもとこの曲は書かれた。
バルバラ「sid’amour a mort」|フランス専門さん(daniel-b)のなんでもブログ
バルバラ自身がエイズを患っており、1997年に亡くなりました。
ごく最近なんですね。
フランスではまさに「今」を代表するシャンソン歌手。
エディット・ピアフはひとつ前の時代を象徴するシャンソン歌手ですね。
コンサートやステージの開催時、それら公演の宣伝を一切行わないにもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれた。制作・発表した作品群はフランス国民のみならず様々な国の聴き手に感銘を与え、現在も圧倒的な支持と評価を受け続けている。1997年11月25日、エイズを患っていたが、パリ西部近郊のヌイイ=シュル=セーヌの病院にて歿。67歳。
バルバラ (歌手)(Wikipedia)
バルバラが大好きなルミさんは、2017年11月20日 フランス・パリ最古の大劇場「テアトル・デジャゼット」で開催された日仏交流コンサート「バルバラ没20年日仏交流シャンソンPARIS公演」 に出演しました。

モーツァルトがマリーアントワネットの前で演奏したことでも有名な劇場で、600人収容のホールでは大半がフランス人の観客で、ほぼ満席の中、歌を披露しました。
コンサート終了後は、ブルボン王朝最後のフランス国王シャルル10世の貴賓室で打ち上げパーティーに出席。
とても素敵で貴重な経験となったそうですよ。素敵ですね!

第1位『愛の讃歌』エディット・ピアフ
こちらも『シャンソンを知らない人に是非聴いてほしいオススメの曲は?』に続き、2度目の登場。
これは実際に聴いてもらうと「あ!知ってる!」という人が多いと思います。
オンエアでは、この『愛の賛歌』フランス語バージョンを、アカペラでルミさんに歌っていただきました。


今日、ピアフはフランスで最も偉大な歌手の一人として記憶され、尊敬されている。フランスではいまだに彼女のレコードが売れ続けている。彼女の生涯は悲劇的な私生活と一連の名声、そしてステージ上で轟くような力を備えた声と華奢で小さな姿がコントラストとして現れたものであった。
エディット・ピアフ(Wikipedia)
シャンソン歌手になるには?
シャンソン歌手になるための基本的な方法として考えられるのは、
- シャンソンのコンクール、オーディション
- シャンソンの先生のレッスンを受講
- シャンソンの一般参加イベント
- シャンソニエ・お店のママの目に止まる
などがあるそうです。
シャンソン歌手になるために、フランス語は必須ではありません。
ただ、ステージ衣装は基本的に自前だそうです。
女性の場合はドレス代や収納場所が大変そうですね・・・。
シャンソン歌手を目指したきっかけは?
ルミさんは幼い頃からエレクトーン、ピアノ、そして15歳からは管楽器を始め、大阪信愛女学院短期大学に在学中にも一般の吹奏楽団に所属していました。
そして、初等教育学科を卒業し、幼稚園と小学校の教員免許を取得しました。
その後、教員になったかと思いきや、短大在学中に歯科医院でアルバイトをした経緯から歯科衛生士を目指すようになり、何と専門学校へ2年通い歯科衛生士の資格を取得しました。
元々は管楽器奏者だったルミさんですが、一体何がきっかけでシャンソン歌手に転向したのでしょうか?
短大では聖歌隊に勧誘され、その当時は裏声で歌っていたそうです。
何故か周りからは高い声がルミさんに向いていると判断されていたようですね。
小学校での教育実習の際、担当教員がシャンソン歌手でもあったそうで興味を持ち始め、最初は趣味でシャンソンを習い始めました。
ところが一番初めに教わった先生からは「どうせやるなら店でデビューしろ」とアドバイス(?)を受け、シャンソン歌手を目指すこととなりました。
シャンソン歌手としてデビューしたのはいつ頃?どこで?
ルミさんは、今から12〜13年前にシャンソン歌手としてデビューしました。
デビューのきっかけとなったのは、まず一つは「オーディション」。
たまたまオーディション開催の情報を教えていただき、東京へ!
新宿のシャンソニエ、シャンパーニュ主催のオーディションに合格しました。
そして二つめは「初ステージ」。
大阪、心斎橋のアートクラブのステージでデビューを飾りました。
同じ年に東京と大阪でデビューを果たしたルミさん。
デビューした時の思い出を伺うと・・・

ハンディキャップがあってもシャンソン歌手になれる?


発声がよくなるコツなど、役立つものは?
ルミさんは学生時代から吹奏楽部でチューバ、ユーフォニアムといった肺活量を強いられる管楽器を演奏してきました。
既に歌手としての素地が形成されていたんですね。
2年間連続吹奏楽コンクール大阪代表・関西大会金賞受賞
確かに、ルミさんの歌声には腹の底に響く力強さがあると思います(宝塚歌劇団の男役のような)
肺機能は年齢とともに衰えていくものですから、プロを目指す人はもちろん、アマチュアや趣味で歌手を目指す人にも吹奏楽器(管楽器)はオススメです。
私は肺活量が壊滅的に弱いので、趣味でトランペットを習っていました。
トランペット本体は持っていませんが、リード単体だけで十分に息を吹く練習ができますよ。


私は喉が弱い上にラジオで喋りますので、のどのケアは気にかけないと・・・と思っていまして、打ち合わせでこの話題について話していた時に、ルミさんから「このキャンディー、凄いですよ!」といただいたのが「森川健康堂プロポリスキャンディー」です。
早速その場でいただきましたが、のどにガツン!と効く感じでした。
他のメーカーでもプロポリスキャンディー自体は時々舐めていたので私は味に慣れていますが、決して「甘くて美味しいキャンディー」ではありませんので初めての人は頑張って慣れてください(笑)
のどからくる風邪もありますので、乾燥や寒い季節には特にオススメです!
シャンソン歌手の間でも人気のキャンディーとのこと。
そして、トム・クルーズの日本語吹き替えを担当しており、トム・クルーズ本人から「(森川の吹き替えは)世界で一番美しい」と絶賛された声優 森川智之さんもお気に入りだそうです。
https://www.excite.co.jp/News/release/20180510/Atpress_156180.html
声フェチの私は声優さんも大好きなのですが、森川智之さんといえばキアヌ・リーブスも担当!
アニメでは『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』の吉良吉影やキングダム『キングダム』の李牧などを担当されています。
葉月ルミさんプロフィール
定期的にコンサートホールでのシャンソンコンサートにも出演。
現在は関西を中心に東京、名古屋でも定期的にシャンソニエに出演中。
【趣味】チューバ、ユーフォニアム演奏


出演情報
- 京都四条河原町 巴里野郎(2006年2月よりレギュラー出演)
- 大阪・心斎橋 アートクラブ(毎月出演)
- 大阪・心斎橋 コンテローゼ(毎月出演)
- 大阪・北新地 ポケット(新宿シャンパーニュ主催 昼下がりのシャンソン)
- 大阪・北新地 アマンテ(第1・3・5木曜のどれかに月イチ出演)
- 神戸・三ノ宮 サロン・ド・あいり
- 東京・新宿 シャンパーニュ
- 東京・赤坂 バルバラ
等に現在出演中
<番外編>シャンソン以外で好きな楽曲BEST3は?

第3位『ジェラシー』ヤコブ・ガーデ作曲

第2位『行進曲「星条旗よ永遠なれ」』スーザ

第1位『行進曲「威風堂々」第1番』エルガー

あとがき
シャンソンって何となく敷居の高いイメージもありしますが、日本でいう演歌やポップス、歌謡曲という位置づけで、実は身近なものなんですよね。
日本の「シャンソン」というジャンルは「フランス語で歌われる楽曲」という意味ですが、本来は、シャンソンという単語はフランス語で「歌」という意味。
なので、日本のCDショップで「演歌のCDが欲しい」と伝えれば「演歌のコーナー」へ案内してもらえますが、フランスのCDショップで「シャンソンのCDが欲しい」と店員さんに言うと、「で?何のシャンソンが欲しいの?」と聞かれることになるんですね。
「歌のCDが欲しいねん」と言ったところで「だから何の歌やねん」ってなりますよね・・。
私が子供の頃にテレビを観ていたら、外国人女性のドキュメンタリーかドラマが始まりました。
何やら波乱万丈で、大恋愛をした凄く有名な歌手、という内容でした。
その時に流れた歌にものすごく衝撃を受けまして、それがそのドラマの主役である「エディット・ピアフ」という女性が歌う「イムヌ・ア・ラムール」という歌でした。
日本語で「愛の讃歌」という歌です。
エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日 – 1963年10月11日)は、フランスのシャンソン歌手。
フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴であった。有名な曲としては「ばら色の人生 La vie en rose」(1946年)、「愛の讃歌 Hymne à l’amour」 (1949年)、「ミロール Milord」 (1959年)、「水に流して Non, je ne regrette rien」 (1960年)などがある。
エディット・ピアフ(Wikipedia)
フランス語の歌詞の意味はもちろんわかりませんが、その歌の何だか切ない声とメロディーに、すっかりトリコになってしまったんですよ。
エディット・ピアフは、フランスのシャンソン歌手で、フランスで最も偉大で最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴として尊敬されているそうです。
「ピアフは売春宿で育ち、街角でスカウトされて歌手として一時代を築きますが愛に恵まれず、彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴であった。」
と言われています。
ピアフの生涯の大恋愛は、プロボクサーの元世界ミドル級王者マルセル・セルダンとのものですが、セルダンは飛行機事故で亡くなります。
「愛の讃歌」という歌は、マルセル・セルダンに捧げられた愛の歌です。
その「愛の讃歌」の日本語訳がいくつかありまして、私が初めて聴いたのは作詞家の岩谷時子さん翻訳のものでした。
それを歌っていたのが、元宝塚歌劇団のトップスターで、日本のシャンソンの女王と呼ばれた越路吹雪さんです。
元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。代表曲から「(日本の)シャンソンの女王」と呼ばれた。
代表曲『愛の讃歌』- この曲が収録されているレコード・CD等の売上枚数は200万枚以上を数える。
越路吹雪(Wikipedia)
シャンソンって聴いたことないわ〜という人も多いかと思うんですが、越路吹雪さんの「愛の讃歌」を聴いてもらえれば「あ〜!」ってなると思うんですよ。
初めての方でも心に刺さるものがあるかと思います。
2014年に放送されたNHK連続テレビ小説「花子とアン」にも、クライマックスの駆け落ちのシーンで「愛の讃歌」がフルコーラスで流れて大反響があったんですよ。
それを歌ったのは美輪明宏さん。
シャンソン歌手としても有名ですね。
「愛の讃歌」は、昨年10月に亡くなった作詞家・岩谷時子による日本語訳詞が有名で、美輪自らの手による日本語バージョンは長い間“封印”されていた。しかし、今年7月18日放送のNHK総合「花子とアン」内で、仲間由紀恵演じる嘉納蓮子が帝大生・宮本龍一と駆け落ちを図るクライマックス・シーンでの挿入歌として1968年にレコーディングされた日本語版「愛の讃歌」が流され、ネットを中心に大きな反響を呼んだ。美輪による日本語歌詞の「愛の讃歌」は、彼がピアフを語るうえで重要なキーワードとなっている“無償の愛”を感じさせる内容になっている。
美輪明宏、NHK「SONGS」で「花子とアン」挿入歌の日本語版「愛の讃歌」披露
他にも色んな人が「愛の讃歌」をカバーしていまして、美空ひばりさん、沢田研二さん、宇多田ヒカルさん、本田美奈子さん、東京スカパラダイスオーケストラもカバーしています。
宇多田ヒカルさんは自分で訳詞したそうですよ。
そんなエディット・ピアフは1963年、47歳の時にガンで亡くなりました。
葬儀には死を悼む無数の人々が路上に現れて葬列を見送り、パリの交通が完全にストップしたのはこのピアフの葬儀の時だけだったそうです。
彼女のそのライフスタイルゆえに、カトリック教会のパリ大司教は葬儀におけるミサの執行を許さなかったが、葬儀には無数の死を悼む人々が路上に現れ葬列を見送り、パリ中の商店が弔意を表して休業し喪に服した。墓地での葬儀は40,000人以上のファンで混雑した。シャルル・アズナブールは第二次世界大戦後、パリの交通が完全にストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述懐している。
エディット・ピアフ(Wikipedia)
ピアフの生涯を描く映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』が、2007年に日本でも上映されました。
主演のマリオン・コティヤールは、この映画で各賞の主演女優賞を総なめしたと言えるのではないでしょうか。
主な主演女優賞は、第80回アカデミー賞主演女優賞、フランスにおけるアカデミー賞にあたる、セザール賞主演女優賞、ゴールデングローブ賞主演女優賞、英国アカデミー賞主演女優賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞女優賞などがあります。
合計13個の主演女優賞を受賞したそうです。
フランス人女優の主演賞受賞者は49年振りで史上2人目。
そして外国語映画、つまり英語以外の言語の映画での史上5人目の受賞俳優となりました。
もちろん、マリオン・コティヤールさんの実力があってこそですが、エディット・ピアフだからこそ、これだけの快挙を達成できたんじゃないかな~なんて思ってしまいます。
「シャンソン」というものをよく知らない子供の頃に、私が生まれるずっと前に亡くなった外国の方の「愛の賛歌」という歌、1曲だけで心を打たれてしまった「シャンソン」とは一体、何なんでしょうね?
凄すぎますよ。